ある実践の終焉?

宮台真司センセをシャア・アズナブルにたとえて、山形浩生氏(アムロ)との確執をパロディにした方がおられます。山形氏も思わず、ニヤリとしたようで…

ミヤディー・アズナブルの影響を受けた、小さなウッソのパパたちとでも言うのでしょうか。そんな頭の良い人たちを、何か、よくみかけます。
ミヤディー・スタンダードに合わない、古い論客の言説をバサリバサリと切り捨てていくのは、気持ちよいことかも知れません。<敵>は、もう終わっちゃってるから、一次情報など読まなくてもよいダメな存在なのです。だって、ミヤディーがそう言ってるからだもん…

そんな、サブカルスタなオトコノコたちに、それは不毛だと指摘してた人もいるようですが、何か、もう疲れちゃってるみたいで…

こんな場末のココログで、こう言ってもせん無いことですが、燃え尽きないように気をつけながら、がんばって欲しいです。絶望的な状況なのかも知れませんが、やせ我慢をしなきゃいけないステージは、確かにあります。
逃げるのは犬だってできるのです。窓際で踏みとどまって戦う(?)私からのエールと言うことで…