鳥取城復元計画だってぇ?

話を知ったのは、mixi「鳥取市民」コミュニティの「鳥取城復元☆」経由。

いやまあ、何と言うか、鳥取城の復元なんて話は、昔から幾度も出てきて、潰れてきた話ではあるのですが…
今回の話は、2006年から30年計画で51億円の予算で、幕末の頃の鳥取城を復元しようと言うことのようです。

本物の鳥取城は、明治維新後に解体され、確か門とかが一部残る以外は、石垣ぐらいしか残っておりません。
ちなみに、解体されたお城の建物は、払い下げられて炊き付けにされちゃったんじゃなかったかしらん。
だから、お城を復元なんて言うと、結局は図面とか当時の写真を元に、新たに作る必要があるワケでして。

これって、ちょっと前に余丁町散人さんのエントリ『「人の心はお金で計れない、”お城”の採算を云々するな」(某お城博物館副館長)』の話マンマじゃないですかね。
ええ、ハコモノ行政の典型じゃないのかと、頭が痛くなってきます。

確かに、あの城が城下町鳥取にとっては、大切な場所であるとは思います。
でも、石垣の修復とか整備とかぐらいなら、わかるんですが、お城の建物まで「復元」して、作り上げるなんてのは、文化財に対する冒涜じゃありませんか?そんなもんランドマークとか市のシンボルにするなんて、すごくキッチュと言うかセンス悪いなあと。


(※参照)
地元紙の日本海新聞に次のような記事(2006年1月15日付け)がありました。
今の鳥取市当局の方たち、マジでやるつもりなんですね。(ため息…)

「幕末の鳥取城復元、市教委が整備計画案」

 国史跡の鳥取城跡附(つけたり)太閤ケ平の保存整備について考える「鳥取城フォーラム」が十四日、鳥取市尚徳町の県民文化会館で開かれた。鳥取市教委は二〇〇六年度から三十年計画で、約五十一億円をかけて幕末期の鳥取城の全体像を復元する保存整備基本計画案を発表。参加した約百三十人の市民が“まちの宝”鳥取城の歴史を学び、復元へ熱い思いを共有した。

 市教委は〇四年度から学識経験者と市民による基本計画検討委員会を設置して、基本計画案を策定した。

 計画案では、近世の鳥取城だけでなく、中世の城郭跡の保存整備を目指す。三五年度まで三十年間の事業計画は十年ごとに三区分。第一段階は案内板などを設置するほか、大手筋の石垣や太鼓御門、中ノ御門、擬宝珠橋などを復元する。一一年度からの第二段階では、二ノ丸の三階櫓(やぐら)や門を復元するが、今後の調査研究で詳細な資料の収集が必要という。二六年度からの第三段階で、天球丸や二ノ丸を整備復元する。

 このほか、既存施設の仁風閣は城跡と並存。鳥取西高校と県立博物館については、当面並存するが将来的には移転も含めて検討が必要とした。

 市教委は今月二十七日まで市民から意見を募集し、二月の検討委員会で計画を正式決定。新年度に実施計画をまとめ、〇七年度から事業着手する考え。

(略)

ココログからのインポート 2008-11-16)