カラシニコフとモノ作りニッポン

朝日新聞に連載されている「カラシニコフ 銃・国家・ひとびと」

「設計者は語る」として、カラシニコフ氏がクローズアップされています。
たぶん、プロジェクトXに涙する人が読んだら、きっと感動するんだろうなあと言うエピソードが満載です。

問題が起きた。薬室の弾詰まりだった。薬室にゴミが入ると、次の弾が発射できなくなる。
戦場では、それは致命的だった。

指導を行ったトカレフは、精密な設計を求めた。
「蚊のクチバシも入れるな」
それが、トカレフの口癖だった。
だが、オトコは、発想を逆転させた。機関部の部品は、高速で動く。
ゴミや火薬カスが入っても、動くようにするには、スキマをあければよい。
部品の周囲に遊びを作った。スカスカの設計は、常識では考えられないことだった。

(↑心の中で、田口トモロヲ氏の声に変換して読んでください)


日本のモノ作りに通じるような、ええ話なんですよ。ベトナム戦争では、ライバルのはずの米軍もM-16を捨てて、解放戦線から鹵獲したAK47を使っちゃったりとか言うエピソードも出てるし。
エンジニアとしては、すごく幸せな人なんだなあと思います。
連載記事のほうには、M-16の設計者とのツーショットの写真も載ってて、それがまた、二人とも良い表情なんですわ。冷戦当時のことが、まだ記憶に染み付いてる身からすると、万感の思い。

ああ、でもねえ…
同連載記事の一つ前のシリーズでは、気がめいるような少女兵士の話でした。(「11歳の少女兵」)
カラシニコフ氏が、武人の蛮用に耐えうるコストパフォーマンスの良すぎる銃を開発してしまったため、年端のいかない子供までが、戦力として活用できるようになったと言う悲劇。

兵器には罪はない!それを用いる側に悪の心があるだけなんだぁ!
そう叫びたいのですが、気のめいるような大義のない内戦で戦わされた少年少女たちに、どれだけの悪の心があると言うのか…

イラクとかアフガンとかパレスチナとか、世界中から注目されてる戦場はマシなのかも知れません。たぶん、この世界のボクらの知らないどこかで、AK47を持たされてる子供たちは、存在するのでしょう。ボクらの子供が、そう言う立場になってないことを、神だかなんだか知りませんが、感謝しなきゃならんのでしょうか。


11歳の少女兵士と聞いて、「萌えぇ〜」と思った、そこのキミ!その場でスクワット200回した後、自衛隊の連絡部の前に行って、大声で戦争を知らない子供たちを歌うこと!

ココログからのインポート 2008-11-16)