めでたさも宙ぐらいなり秋の空

スプートニクコールウッドの町の少年の心に火をつけてから47年目。

SpaceShipOneが、2週間以内に2度目の「宇宙」飛行に成功して、X賞を受賞することになりました。

まあ、事故もなく無事に帰還できたことで、すごくめでたいことだとは思います。
でも、心情的には、衛星軌道じゃないと、宇宙とは認めたくはないような気持ちはあります。
その壁が越えられない壁でないことを願いたいのですが…

ン千万円単位の金額で「宇宙」に行けるってことであれば、ローンをするか(遊びに行くためだけって理由で、銀行がそうそう融資してくれないでしょうけど)、宝くじに当たるか(確率論からすると、国とか自治体に税金以外に寄付してるようなものなんですが…)すれば、実現性はゼロでないってところが、ものすごく痛い気がします。
どうせ、高値の華なら、おいらには縁のない世界でやんすとばかりに、高楊枝で見物としゃれ込むこともできるのですけど、無理すれば手の届くランクの金額と言うのは、微妙と言うか何と言うか。

どうせ、住宅ローンで同じくらいの桁数の借金を抱えてるなら、それが増えても…と悪魔の囁きが。


軌道エレベータができるか、核パルスロケットが実用化されでもしない限り、現在の海外旅行感覚の宇宙旅行ってのは、大衆化しないような気がします。おいらのような価値の少ないペイロードを打ち上げるより、もっと、優先順位の高いペイロードがゴロゴロしてる状態では、それもしかたないでしょう。(ため息)


(追記)
アンサリX賞に何か違和感があると思ったら、どうもリバータリアン系のジャーゴンが使われてるみたいです。

「私たちは信じている。
 宇宙飛行はすべての人々に対して開かれるべきだ、と。
 それは、政府職員の中のエリート幹部や超裕福な人々だけのものではない。」
と、X賞のモットーは語っています。
航空機による飛行は、以前裕福な人々だけの旅行手段でした。 商業の力は、今やそれを皆の手の届くところにもたらしています。「誰にでも」というのが、ここでは先進国の人々の事を意味する、という 事実を離れましょう。私を悩ますのは、「エリート幹部」という言葉です。 「エリート幹部」というのは、政府が私たちの基本的な自由を妨害 しようと常にしている、と主張する右派自由意志論者達の言葉です。 確かに、X賞のミッションが提示するのは、「宇宙は自由を提供する」です。

自由と言う言葉、支払い能力を美しく装飾しただけのような気も。
今回のニュースは、エルタニカのような国の子供の心に何か火をつけたでしょうか?(エルタニカはフィクションの中にしかないですけど、似たような境遇の国なんか、ゴロゴロしてます)

ココログからのインポート 2008-11-16)