ピクルス王子のつくりかた
「戦争のつくりかた」って言うのが、一部で流行ってるようです。
何だか賛否両論あるみたいですね。
個人的には、何か心のノートみたいで、やな感じがするなあと。
確かに、戦争には悲惨な面があるのは認めます。でもねえ…
戦争って、一部の悪い「権力者」達が、こっそりと悪巧みをして起きるワケじゃないんですよね。
お互いの側にお互いの正義があるんだし、その正しさのすり合わせができない場合は、当事者すべてがマジメで善良な心優しい人たちであっても、戦争が起きちゃうことだってあるんだし。(侵略する側にだって、攻勢防御だとか、予防戦争だとか、理屈と膏薬は何でもついちゃいます)
だから、平和を愛して、社会を愛して、家族を愛するような、よき父であり母であり息子であり娘であったりする善良な人たちが、お互いに憎しみあって、傷つけあって、殺しあうところに、人間の業の深さがあると思うんですよね
アンチテーゼとしてピクルス王子を引き合いに出す人もいるんですけど、つくりかたに対抗するには、ちょっとずれてるような気がします。
「つくりかた」の場合は、自分達が外に攻め込むことを、やめさせようとしています。でも、攻められたとき、どうするべきなのかは、ネグられています。
王子のほうは、攻められてきたときに守るための力が必要なことを示していますが、はたして、自分が侵略する側に立たされたときどうするかは…(パプリカ王国の軍隊は国境の外に出ないってカセはあるようですけれど)
お互いに自分の都合の悪い部分は、誤魔化してるんですよね。
本来はお互いに補完すべきなんでしょう。でも、たぶん、それができるくらいだったら、それこそ、戦争なんか起きないんでしょうね。どっとはらい。
追記(2004.8.5)
「つくりかた」に関して、次のような指摘もありました。
「右の人は「戦争をしかけられる」(北朝鮮とかね)恐怖を煽るが、左の人は「戦争をしかける」恐怖を煽る。」
ピクルス王子に感じる「軍隊がないと、攻められる」と言うテーマと、「つくりかた」の「攻めたくないから、軍隊を持ちたくない」なんてのと同じような気も。
右の人は「受け」で、左の人は「攻め」ってことかも?(←なんだかおバカな結論)
なお、「つくりかた」に対する賛否両論を紹介されてるところもあります。何だか、賛同する人が多いんですけど、どうなんだかなあ…
(ココログからのインポート 2008-11-16)